今回は、崇福寺(そうふくじ)をご紹介します。
織田信長公は、斎藤道三の孫の斎藤龍興を亡ぼし永禄10年(1567年)美濃に移ると、ここ崇福寺を菩提所とし保護しました。
その後、本能寺の変で信長と息子の信忠が明智光秀に討たれると信長の側室お鍋の方がその遺品を送り寺内に埋め位牌を安置させました。これが現在の「織田信長父子廟」です。
本堂には「血天井」があります。これは、信長の孫織田秀信が慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いで西軍石田三成に加担したため、東軍の猛撃にあい岐阜城は落城しましたが、この時将兵38人が自害し、その血塗られた床板が残りました。この菩提を弔うため、岐阜城の床板を、本堂の天井に張られたものです。今でも鎖かたびらや鎧ひだたれの血痕が付着しているのが見られます。
また、「心頭を滅却すれば火も自ずから凉し」と言ったことで有名な快川紹喜(かいせん じょうき)が住職を努めたこともある由緒あるお寺です。
堂内には信長公直筆の書や、櫓(やぐら)時計、清洲城の鯱瓦など貴重な資料が展示されています。そして、現在も数百点の寺宝や古文書類の整理を行っている最中だそうです。きれいに手入れされた庭園も見られます。
信長公直筆の書「雪月花(せつげっか)」を拝見すると感慨深いものがありました。
住 所 岐阜市長良福光2403-1
拝観時間
•3月~10月末まで 午前9時~午後5時
•11月~2月末まで 午前9時~午後4時30分
※1月15日、5月7日、8月1日、8月5日 及び特別な場合は拝観禁止
拝観料 大人 200円 子供150円