人は自然と切り離されていない――『黄帝内経・素問』生気通天論篇が伝える健康の原則
私たちの身体は、自然の変化と無関係に動いているわけではありません。
朝になれば目が覚め、昼には活動し、夜になると眠くなる。
暑い日には汗をかき、寒い日には身体が縮こまる。
こうした身体の反応は、人間も自然の一部であることを示しています。
今回は、『黄帝内経・素問』第三篇に収められている「生気通天論篇」について、できるだけ分かりやすく解説します。
生気通天論篇とは
「生気」とは、生命を支える根本的な気のことです。
「通天」とは、天、すなわち自然界のリズムと通じ合うことを意味します。
生気通天論篇では、人間の生命は自然と切り離されておらず、昼夜や四季、寒暑、風、湿気、陰陽の変化とともに動いていると説かれています。
冒頭には、次の言葉があります。
夫れ古より天に通ずる者は、生の本にして、陰陽に本づく
生命の根本は、天と通じることにあり、その中心には陰陽の働きがある、という意味です。
古代中国の医学では、人間の身体を単独で動く機械のようには考えません。
気候、季節、生活リズム、感情、食事、労働、休息など、身体を取り巻くあらゆる条件を含めて健康状態を考えます。
この考え方は、現代においても非常に重要な視点ではないでしょうか。
## 身体の中の太陽「陽気」
生気通天論篇で特に重要なのが、「陽気」です。
原文では、陽気について次のように表現されています。
> 陽気は、天と日との若し
陽気は、人体における太陽のような存在である、という意味です。
太陽が天地を照らし、自然界を温め、さまざまな生命活動を支えているように、陽気も身体の中で重要な働きを担っています。
陽気には、次のような働きがあると考えられます。
* 身体を温める
* 気血をめぐらせる
* 外からの刺激から体表を守る
* 筋肉や関節の働きを支える
* 活動する力や精神活動を保つ
太陽の光が失われれば、自然界の活動が衰えてしまいます。
同じように、陽気が弱れば、身体を温めたり、動かしたり、外から守ったりする力も低下すると考えられてきました。
## 陽気には一日のリズムがある
陽気は、一日中同じ状態で働いているわけではありません。
朝になると生じ始め、昼に最も盛んになり、夕方には次第に内側へ収まり、夜には休息へ向かいます。
朝は活動を始め、昼間にしっかり動き、夜には身体を休ませる。
これは、現代でいう睡眠と覚醒のリズムや、活動と休息のリズムを考えるうえでも、参考になる考え方です。
ところが、私たちは日常生活の中で、この自然なリズムに逆らってしまうことがあります。
例えば、
* 夜遅くまで無理に活動する
* 疲れているのに十分に休まない
* 汗をかいたまま身体を冷やす
* 季節や気温に合わない生活を続ける
こうした生活が重なると、本来は身体を守るはずの陽気が消耗しやすくなると考えられます。
単に睡眠時間だけを確保すればよいのではありません。
いつ活動し、いつ休むのかという生活のリズムそのものが、健康を支える大切な要素なのです。
## 寒さ・暑さ・湿気が身体に与える影響
生気通天論篇では、寒さ、暑さ、湿気、風など、自然界の変化が陽気を傷つけることについても述べられています。
東洋医学では、身体に悪影響を与える自然界の要素を「外邪」と呼びます。
### 寒さの影響
寒さにさらされると、気血の流れが滞りやすくなります。
身体がこわばる、手足が冷える、筋肉や関節が痛むといった状態も、寒さによって身体の働きが縮こまった結果として捉えられます。
特に、汗をかいた後に冷たい風に当たることは、古くから注意すべきこととされてきました。
汗をかいた直後は、体表が開き、外からの影響を受けやすい状態になっていると考えられるからです。
### 暑さの影響
暑いときには、身体は汗を出して熱を逃がそうとします。
しかし、汗をかきすぎると、水分だけでなく、身体を動かすための気も消耗しやすくなります。
暑い時期に、強い疲労感や息切れ、食欲低下、だるさを感じることがあるのは、こうした消耗と関係していると考えることができます。
### 湿気の影響
湿気が多い環境では、頭が包まれたように重く感じたり、身体全体がだるくなったりすることがあります。
東洋医学では、湿気には重く、停滞しやすい性質があると考えます。
梅雨時や雨の続く時期に、身体が重い、頭がすっきりしない、食欲が落ちるという方がいるのも、湿気の影響として説明されてきました。
## 病気の原因は外から来るものだけではない
身体を乱す原因は、寒さや暑さといった外部環境だけではありません。
生気通天論篇では、過労、大きな怒り、食べすぎなど、日常生活の中にある問題についても触れています。
例えば、
* 休まずに働き続ける
* 強い怒りを抱え続ける
* 脂っこいものや味の濃いものを食べすぎる
* 汗をかいた後に身体を冷やす
* 疲れているのに無理を続ける
このような行動の積み重ねも、陽気を傷つけ、身体の調和を乱す原因になります。
大きな病気が、必ずしも突然始まるとは限りません。
毎日の小さな無理や不養生が少しずつ積み重なり、ある時になって症状として現れることもあります。
生気通天論篇は、病気になってから対処するだけでなく、普段の生活の中で身体を守ることの重要性を教えているのです。
## 「陰平陽秘、精神乃ち治まる」
生気通天論篇には、健康の本質を表す重要な言葉があります。
> 陰平陽秘、精神乃ち治まる
陰が穏やかに身体の内側を養い、陽がしっかりと身体の外側を守っているとき、心身は安定するという意味です。
東洋医学における陰とは、身体を潤し、休ませ、内側に蓄える働きを表します。
一方の陽は、身体を温め、動かし、外側へ働きかける力を表します。
休むことだけが大切なのではありません。
活動することだけが大切なのでもありません。
休息と活動。
静けさと動き。
内に蓄える力と、外へ働く力。
この両方が適切に保たれていることが、健康の基本になります。
陽が強すぎれば、興奮や熱が過剰になります。
反対に陽が弱すぎれば、冷えや疲労、活動力の低下につながります。
陰が不足すれば、身体を潤し、落ち着かせる力が弱くなります。
陰と陽は、どちらか一方を増やせばよいのではなく、互いに支え合いながら、調和していることが大切なのです。
## 身体に良い食べ物でも、偏れば害になる
生気通天論篇の最後では、五味の偏りについても述べられています。
五味とは、次の五つの味です。
* 酸
* 苦
* 甘
* 辛
* 鹹
「鹹」は、塩辛い味を意味します。
食べ物は、身体を養うために欠かせません。
しかし、特定の味ばかりを極端に取りすぎると、かえって臓腑の働きを乱す可能性があると考えられています。
これは、「身体に良い」とされる食べ物であっても同じです。
良いものだからといって、毎日大量に食べ続ければよいとは限りません。
健康に必要なのは、一つの食品や栄養素に頼ることではなく、偏りを避け、全体の調和を保つことです。
古典医学は、二千年以上も前から「過ぎたるは及ばざるがごとし」という考え方を、食事にも当てはめていたのです。
## 生気通天論篇が現代に伝えること
生気通天論篇は、単なる昔の養生法を記した文章ではありません。
この篇が伝えているのは、次のような健康の基本原則です。
* 人は自然の中で生きている
* 昼夜や季節の変化に合わせて生活する
* 身体を温め、守り、動かす陽気を大切にする
* 汗をかいた後の冷えを軽く考えない
* 働きすぎや感情の乱れを放置しない
* 食事は内容だけでなく偏りにも注意する
* 陰と陽の調和を保つ
現代社会では、季節や時間に関係なく、照明や空調を使って生活することができます。
夜遅くまで仕事をしたり、真冬に薄着で過ごしたり、真夏に冷房の中で身体を冷やしたりすることも珍しくありません。
便利な生活になった一方で、自然本来のリズムを感じにくくなっているともいえます。
だからこそ、生気通天論篇の考え方は、現代人にとっても大切なのではないでしょうか。
## 鍼灸臨床にも通じる大切な視点
鍼灸治療では、痛みのある場所や症状の出ている部分だけを見るのではありません。
身体の冷えや熱、睡眠、食欲、発汗、便通、疲労、感情の変化、季節との関係なども含めて、全身の状態を考えていきます。
同じ肩こりであっても、冷えによって強くなっている方もいれば、過労や睡眠不足が関係している方もいます。
同じ不眠でも、身体が冷えて眠れない方と、熱や興奮が収まらず眠れない方では、身体の状態が異なります。
症状だけを見るのではなく、その人の生活と自然環境との関係まで含めて考える。
生気通天論篇は、現在の鍼灸臨床においても、患者さんの身体を診るための大切な視点を与えてくれます。
## まとめ
人は自然から独立して生きているわけではありません。
朝には朝の身体があり、夜には夜の身体があります。
春夏秋冬、それぞれの季節に応じた身体の変化があります。
その変化を無視して無理を重ねれば、身体の調和は少しずつ乱れていきます。
自然の変化に合わせて生活すること。
陽気を守ること。
汗、冷え、過労、感情、食事を軽く考えないこと。
そして、陰と陽のバランスを保つこと。
生気通天論篇は、人間が自然の中で健康に生きるための基本原則を説いた篇です。
人は自然の中で生きている。
その当たり前の事実を、医学として深く説いたもの。
それが、『黄帝内経・素問』第三篇「生気通天論篇」なのです。











