「なぜ手首の脈だけで、全身がわかるのか?」
みなさんは、
手首の親指側を、そっと触れるだけで──
体じゅうの状態や、生命力までも読み取れる。
そんな話、信じられますか?
実はこれ、
東洋医学の古典「難経」の第一章、
難経一難(なんぎょういちなん)が、真正面から投げかけている問いなんです。
難経一難は、こんな大胆な疑問から始まります。
「全身には、たくさん脈を触れられる場所がある。
それなのに、どうして手首の寸口(すんこう)だけを診て、
五臓六腑の調子や、生死の行方まで判断できるのか?」
現代の私たちが聞いても、
「本当に?」と思ってしまう問いですよね。
しかし、難経が示した答えは、とてもシンプルです。
脈の大会。
つまり、全身をめぐるすべての情報が、
最後に集まってくる終着駅だというのです。
では、なぜ手首の寸口に、
全身の情報が集まるのでしょうか。
ここには、東洋医学ならではの二つの大きな理由があります。
理由その一:肺の役割
まずひとつめは、肺の役割です。
寸口は、手の太陰肺経という、肺の経絡の上にあります。
東洋医学で肺は、
全身の「気」をコントロールする司令塔。
すべての経絡は、必ず肺に「朝(ちょう)する」
──つまり、一度は肺に挨拶に来る、
というルールがあります。
だから、肺の経絡上にある寸口を診れば、
全身から届いた最新ニュースをまとめて受け取ることができるのです。
理由その二:呼吸と循環の視点
そして、ふたつめが、
呼吸と循環という視点です。
難経には、こんな数字が記されています。
人は、一回の呼吸で、
気と血を六寸進める。
それを一日一夜で数えると、
およそ一万三千五百回の呼吸。
その結果、
栄気(えいき)と衛気(えき)は、全身を五十周めぐり、
必ず寸口へ帰ってくる。
つまり寸口は、
呼吸によって生まれた生命のリズムが、
何度も何度も集約される場所。
いわば、
全身をめぐるエネルギーの入り口であり、出口であり、検問所なんですね。
医学界への革命的な宣言
だから難経は、こう宣言します。
「全身どこでも脈は触れられる。
しかし、診るべきは寸口ひとつで足りる」
これは、当時の医学界にとって、
まさに革命的な考え方でした。
それまでの医学では、
喉の人迎(じんげい)、足の趺陽(ふよう)など、
あちこちの脈を診る必要がありました。
難経はそれを、
「手首一箇所で十分だ」と整理し、
診断を一気にシンプルにしたのです。
生命の拍動に触れるということ
でも、難経一難が本当に伝えたかったのは、
単なる効率の良さではありません。
人の身体は、
呼吸、時間、自然のリズムと響きあって生きている。
寸口の脈は、
その生命の拍動そのもの。
ただ手首に触れているだけなのに、
そこには、全身の今と、
生きる力の強さが刻まれている。
難経一難は、
そんな壮大な生命観への扉を、
静かに開いてくれる章なんです。
この視点を持って脈に触れると、
手首の一拍一拍の「重み」が、
きっと変わって感じられるはずです。











