井島鍼灸院ブログ

2026.11.08更新

奥歯をぐっと強く噛みしめたとき、頬の奥、耳の少し前下のあたりに、硬いふくらみが盛り上がるのを感じたことはありませんか。

その正体は、咬筋(こうきん)という筋肉です。食べ物を噛むときに働く、とても力の強い筋肉で、私たちは毎日、食事や会話のたびにこの筋肉を使っています。

今回ご紹介するのは、この咬筋の上にある経穴、頬車(きょうしゃ)です。頬車は、あごや歯、顔の症状と深く関わるツボとして、古くから用いられてきました。

あごはなぜ、こんなにも複雑に動くことができるのか。そして頬車という名前には、どのような意味が込められているのか。体のしくみと東洋医学の知恵の両方から、ひとつずつ見ていきたいと思います。

頬車穴の位置

下あごの角の、前上方

頬車は、下あごの角、下顎角(かがくかく)のやや前上方にあります。

下顎角とは、耳たぶの下から下あごの骨をたどっていったときに、骨が直角に近い角度で曲がっている部分のことです。顔を横から見たときの、あごの「エラ」にあたるところですね。

より正確には、下顎角から前上方へ、およそ指一本分(中指の幅、1横指)ほど進んだところが目安とされています。

咬筋の盛り上がりとくぼみ

臨床で頬車を取るときには、咬筋の動きがよい目印になります。

患者さんに奥歯を軽く噛みしめていただくと、頬の後方に硬く盛り上がる筋肉が触れます。これが咬筋です。そのまま力を抜いていただくと、盛り上がっていた部分に、わずかなくぼみを感じる場所があります。そこが頬車のおおよその位置です。

噛みしめたときの盛り上がりと、力を抜いたときのくぼみ。この二つを目印にすることで、一人ひとりの顔の形やあごの大きさに合わせて、位置を確かめやすくなります。

古典が記す「口を開くと孔がある」

古典の『鍼灸甲乙経(しんきゅうこうおつきょう)』では、頬車の位置を「耳の下、曲頬(きょくきょう)の端の陥(くぼ)んだところ。口を開けば孔(あな)がある」と記しています。

「曲頬」とは、頬の曲がった部分、つまり下あごの角のことです。そして「口を開けば孔がある」という表現は、あごを動かすと、そこにくぼみが現れることを表しています。噛みしめたときと力を抜いたとき、あるいは口を開けたときで、表情を変える場所。古代の医家たちも、あごの動きとともに変化するこの場所の特徴を、しっかりとらえていたことがわかります。

頬車が属する「足の陽明胃経」

顔から足先まで走る経脈

頬車は、足の陽明胃経(ようめいいけい)という経脈に属する経穴です。

「胃経」と聞くと、胃やお腹の働きをイメージされる方が多いかもしれません。もちろん胃経は胃と深く結びついた経脈ですが、その流れは胃のまわりだけにとどまりません。胃経は、顔面から首、胸、お腹を通り、さらに下肢の前面を下って足の指先まで、体の前面を広く走っている経脈なのです。

顔の中での胃経の流れ

『霊枢(れいすう)』経脈篇によると、胃経は鼻のわきから始まり、鼻の外側を下って上の歯の中へ入ります。そこから出て口のまわりをめぐり、下あごの下の縁に沿って後ろへ進み、大迎(だいげい)というツボに出ます。そして頬車をめぐり、耳の前を上って、髪の生え際に沿っておでこへ至ります。

つまり胃経は、鼻、上の歯、口、あご、耳の前、こめかみ、おでこと、顔の大部分をぐるりとめぐっているのです。そのため顔や口、あごの周辺には、胃経に属する重要な経穴がいくつも並んでいます。

  • 承泣(しょうきゅう)・四白(しはく):目の下
  • 巨髎(こりょう):鼻のわきの下
  • 地倉(ちそう):口角のわき
  • 大迎(だいげい):下あごの縁、咬筋の前
  • 頬車(きょうしゃ):下顎角の前上方
  • 下関(げかん):耳の前、頬骨の下のくぼみ
  • 頭維(ずい):おでこの角

上の歯は胃経、下の歯は大腸経

ここで、鍼灸を学ぶ方にぜひ覚えておいていただきたいポイントがあります。

『霊枢』経脈篇では、胃経は「上歯の中に入る」とされています。一方、手の陽明大腸経は「下歯の中に入る」とされています。そのため、古くから上の歯の痛みには胃経、下の歯の痛みには大腸経のツボがよく用いられてきました。

胃経と大腸経は、どちらも「陽明」の経脈です。陽明の二つの経脈が、上下の歯をそれぞれ受け持っている。頬車が歯の痛みに用いられてきた背景には、こうした経脈の流れがあるのです。

「噛む」ことと脾胃

あごや口のまわりを胃経がめぐっていることは、東洋医学の考え方からすると、とても自然なことでもあります。

東洋医学では、脾と胃は飲食物を受け入れて消化し、体を養うエネルギーに変える働きを担っていると考えます。そして『黄帝内経』では、「脾は口に開竅(かいきょう)する」、つまり脾の働きは口に現れるとされています。食べるという営みは、口に食べ物を入れ、噛み、飲み込むところから始まります。噛むことは、消化の最初の一歩なのです。

また陽明の経脈は、古典で「多気多血(たきたけつ)」、つまり気も血も豊富な経脈とされています。毎日休みなく働き続けるあごや口のまわりを、気血の豊かな陽明の経脈がめぐっている。そう考えると、頬車が胃経に属していることにも、深い意味があるように感じられます。

名前の由来 ― 穴名考

頬車という名前は、二つの漢字からできています。一文字ずつ見ていきましょう。

「頬」― ほお

まず「頬(きょう)」は、文字どおりほおを意味します。頬車がある下顎角の前上方は、まさに頬の下の部分にあたります。

「車」― あごを表す古い言葉

次に「車(しゃ)」です。顔のツボに「車」という字が使われているのは、少し不思議に感じられるかもしれません。

実は「車」という字は、古くは「牙車(がしゃ)」という言葉で、歯を載せて支える下あごの骨を表すのに使われていました。歯を荷物のように載せて運ぶ車。下あごの骨を、そんなふうに見立てたのでしょう。

そのため、頬の下、下顎角の付近にあることから、この場所が「頬車」と呼ばれるようになったと考えられています。

「車」に込められた動きのイメージ

さらに「車」という字には、もうひとつのイメージを重ねることもできます。それは車輪の回転です。

後ほど詳しくお話ししますが、下あごは、顎関節を軸にして回転するように動きます。車輪が軸を中心に回るように、下あごが動く。その動きを支える場所にあるツボだから「車」の字が使われた、と解釈することもできるかもしれません。

また頬車には、「機関(きかん)」という別名もあります。機関とは、からくりや仕掛け、動きの要となる部分を意味する言葉です。あごの動きの要になる場所、という意味が込められているのでしょう。名前と別名をあわせて見ると、古代の医家たちが、この場所を「動く仕組み」の中心としてとらえていたことが伝わってきます。

道具や体のつくりにちなんだツボの名前は、ほかにもたくさんあります。ツボの名前に込められた意味を読み解く「穴名考(けつめいこう)」は、経穴を覚えるうえでも、とても役に立つ視点です。

あごはなぜ複雑に動けるのか

上下だけではないあごの動き

では、なぜ頬車のある場所は、あごの症状と深く関係するのでしょうか。それを知るために、まずはあごの動きについて見ていきましょう。

私たちのあごは、食事のときに上下へ動くだけではありません。食べ物をすりつぶすために、前後や左右にも細かく動いています。お肉を噛み切るとき、お米をすりつぶすとき、私たちは無意識のうちに、あごを複雑に動かしているのです。

回転と滑走の組み合わせ

あごの動きの中心となるのが、耳のすぐ前にある顎関節(がくかんせつ)です。

顎関節では、回転するような動きと、前へ滑るような動きが組み合わさっています。口を少しだけ開けるときには、下あごの骨の先端(下顎頭)がその場で回転するように動きます。さらに大きく口を開けるときには、下顎頭が回転しながら前方へ滑り出していきます。

大きなあくびをしたときに、耳の前あたりで骨が動くような感覚を覚えたことがある方もいらっしゃるかもしれません。それが、顎関節の滑るような動きです。回転と滑走。この二つの動きを組み合わせることで、私たちのあごは、大きく口を開けたり、細かく食べ物をすりつぶしたりすることができるのです。

あごを動かす筋肉たち

この複雑な動きを支えているのが、咀嚼筋(そしゃくきん)と呼ばれる筋肉のグループです。

  • 咬筋(こうきん):下あごを持ち上げて口を閉じる、噛む力の中心となる筋肉
  • 側頭筋(そくとうきん):こめかみに広がり、下あごを持ち上げたり後ろへ引いたりする筋肉
  • 内側翼突筋(ないそくよくとつきん):下あごの内側にあり、咬筋とともに下あごを持ち上げる筋肉
  • 外側翼突筋(がいそくよくとつきん):下あごを前へ出したり、左右に動かしたりして、口を開ける動きを助ける筋肉

これらの筋肉は、すべて三叉神経(さんさしんけい)の枝によって動かされています。四つの筋肉が協力し合いながら、あごの複雑な動きを生み出しているのです。

頬車の下にある咬筋

噛む力の主役

咀嚼筋のなかでも代表的な筋肉が、頬車のすぐ下にある咬筋です。

咬筋は、頬骨のアーチ(頬骨弓)から始まり、下あごの角の外側に付着しています。下あごを持ち上げて口を閉じたり、物を噛んだりするときに、とても重要な働きをしています。体の大きさに比べて非常に強い力を出せる筋肉としても知られています。

頬車のまわりの構造

頬車のあたりでは、皮膚のすぐ下に咬筋があり、その奥には下あごの骨があります。咬筋の後ろ側には、だ液をつくる耳下腺が接しています。また咬筋の表面近くには、顔面神経の枝や、耳下腺から出るだ液の通り道(耳下腺管)が通っています。

咬筋の前の縁、下あごの骨の下の縁のあたりでは、顔に血液を送る顔面動脈が、下あごの骨の上を越えて顔へと向かっています。ここは、胃経の大迎というツボの位置にあたります。頬車と大迎は、咬筋をはさんで後ろと前に位置する、とても近い関係にあるツボなのです。

毎日、休みなく使われる筋肉

咬筋は、毎日の食事のときはもちろん、会話のとき、そして無意識の食いしばりのときにも、繰り返し使われています。

実は、上下の歯は、本来は食事や会話のとき以外には離れているのが自然な状態だといわれています。口を閉じていても、上下の歯の間にはわずかなすき間がある。それがリラックスしたあごの状態です。上下の歯が接触している時間は、食事の時間を含めても、一日の合計でわずか20分程度ともいわれています。

気づかないうちの「歯の接触」

ところが、仕事や勉強に集中しているとき、パソコンやスマートフォンの画面を見ているとき、緊張やストレスを感じているときなど、私たちは自分では気づかないうちに上下の歯を接触させ、あごへ力を入れていることがあります。

強く噛みしめていなくても、上下の歯が軽く触れ続けているだけで、咬筋には力が入り続けます。このような癖は「歯列接触癖(しれつせっしょくへき)」、英語の頭文字をとって「TCH」と呼ばれることもあります。また、眠っている間の歯ぎしりや食いしばりも、咬筋に大きな負担をかけるといわれています。

こうした状態が長く続けば、咬筋には繰り返し負担がかかります。あごのだるさやこわばり、口の開けにくさ、こめかみや頬の重さなどにつながることもあると考えられています。

頬車の効能

古典に記された主治

頬車は古くから、顔やあご、歯の周辺にみられる症状に用いられてきた経穴です。古典や鍼灸の教科書では、たとえば次のような症状が主治として挙げられています。

  • 歯の痛み
  • あごのこわばり、口が開きにくい状態(口噤:こうきん)
  • 頬の腫れ
  • 口もとのゆがみ(口眼喎斜:こうがんかしゃ)
  • 首のこわばり

顔面神経麻痺と頬車

また、顔面神経麻痺など、顔の動きに関わる症状に対しては、頬車はほかの顔面部の経穴と組み合わせて用いられることがあります。

咬筋の表面近くには、顔の表情をつくる筋肉を動かす顔面神経の枝が走っています。顔面神経麻痺では、口もとの動きが悪くなり、口角が下がったり、食べ物や飲み物がこぼれやすくなったりすることがあります。頬車は、口角のわきにある地倉(ちそう)などとともに、口もとの症状に用いられてきました。古くから「地倉と頬車を結ぶように鍼をする」方法が伝えられていることも、二つのツボの深い関係を物語っています。

臨床で見られる変化

咬筋の緊張が強い方では、頬車の周辺に硬さや圧痛が現れることがあります。

臨床で左右を触り比べてみると、片側だけが硬く感じられたり、押したときの感覚に左右で違いがみられたりすることもあります。片側でばかり噛む癖のある方や、頬杖をつく習慣のある方などでは、こうした左右差が見られることがあるかもしれません。

こうした頬車まわりの変化は、施術の場で、あごにどれくらい負担がかかっているのか、どちら側に力が入りやすいのかを知る、ひとつの手がかりになります。

あごや顔の不調と向き合うために

原因はひとつではない

ただし、あごや顔面の不調は、原因や経過が人によって大きく異なります。

あごの痛みや口の開けにくさの背景には、咬筋などの筋肉の緊張だけでなく、顎関節そのものの状態、かみ合わせ、歯や歯ぐきの病気、ストレスや睡眠の状態など、さまざまな要因が関わることがあります。そのため、一つの経穴だけで改善するとは限りません。

自分の癖に気づくきっかけに

頬車という一つのツボを知ることは、ふだんどれくらいあごに力が入っているのか、どちら側でよく噛んでいるのかなど、自分の癖に目を向ける、ひとつのきっかけになるかもしれません。

集中しているとき、気がつくと奥歯を噛みしめていた。そんな経験のある方も多いのではないでしょうか。毎日何気なく使い続けているあごだからこそ、その使い方に少しだけ意識を向けてみることにも、意味があるように思います。

まとめ

今回は、咬筋の上にある経穴、頬車についてご紹介しました。

  • 位置:下顎角から前上方へ指一本分ほど。噛みしめると咬筋が盛り上がり、力を抜くとくぼむところ
  • 所属経脈:足の陽明胃経に属し、胃経は上の歯の中に入り、顔の大部分をめぐる
  • 歯との関係:上の歯の痛みは胃経、下の歯の痛みは大腸経が受け持つとされる
  • 名前の由来:「頬」と、下あごの骨を表す古い言葉「牙車」の「車」から。別名は「機関」
  • 解剖学的特徴:あごは顎関節で回転と滑走を組み合わせて動き、その動きを咬筋などの咀嚼筋が支えている
  • 主な効能:歯の痛み、あごのこわばり、口の開きにくさ、頬の腫れ、口もとのゆがみなどに用いられてきた

毎日何気なく使い続けているあご。そのすぐそばにある頬車は、私たちの「噛む」という動きと深く関わる経穴なのです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

投稿者: 井島鍼灸院

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