難経第四十八難とは?「虚」と「実」を脈・症状・触診から見分ける考え方
「同じ“痛い”でも、体の中ではまったく違うことが起きているとしたら、
どうでしょうか。」
強く押すと痛い場所。
逆に、軽く触ると痛いのに、ぐっと押すと気持ちよく感じる場所。
東洋医学の古典『難経』には、
こうした反応の違いから身体の状態を見分けようとする考え方が記されています。
それが、難経第四十八難です。
第四十八難の大きなテーマは、「虚」と「実」。
東洋医学では、身体の力が不足している状態を「虚」、
反対に邪気や緊張などが強く現れている状態を「実」と考えます。
ただし、第四十八難が教えているのは、
「疲れているから虚」
「痛みが強いから実」
と単純に決めることではありません。
脈、症状の現れ方、そして実際に身体へ触れた反応など、
いくつもの情報を組み合わせて虚実を判断していきます。
一つ目は「脈」から虚実を見る
第四十八難では、まず脈の状態から虚実を見分けます。
古典には、
「濡なるものは虚、緊牢なるものは実」
という内容が記されています。
「濡」は、やわらかく力の弱い脈。
「緊」「牢」は、硬く張り、しっかりと感じる脈を表します。
つまり、
やわらかく、力の乏しい脈は虚。
硬く張り、力強く触れる脈は実。
という考え方です。
東洋医学の脈診では、単に脈拍数を見るだけではありません。
脈の強さや硬さ、深さ、張りなどを細かく観察し、
その人の身体がどのような状態にあるのかを判断する材料とします。
二つ目は「病の現れ方」を見る
次に、症状の進み方や勢いから虚実を考えます。
第四十八難には、
「緩なるものは虚、急なるものは実」
という考え方があります。
「緩」は、ゆっくりしている状態。
「急」は、勢いが強く、急激な状態です。
そのため、
長く続き、勢いが弱い症状は虚の傾向。
反対に、突然起こり、症状の勢いが強いものは実の傾向。
と考えます。
もちろん、実際の臨床では発症の速さだけで虚実を決めるわけではありません。
大切なのは、症状がどのような勢いで現れ、
どのように変化しているのかを見ることです。
三つ目は「身体に触れて」虚実を見る
第四十八難で特に興味深いのが、
身体に触れたときの反応から虚実を判断する考え方です。
古典には、
「濡なるものは虚、牢なるものは実」
さらに、
「痒きものは虚、痛むものは実」
とあります。
身体に触れたとき、
やわらかく、力がなく感じるところは虚。
反対に、硬く緊張しているところは実。
そして古典的には、かゆみを虚、
痛みを実として捉える考え方が示されています。
ここで注意したいのは、
これは現代医学の病態分類をそのまま表しているものではないということです。
第四十八難が伝えているのは、症状の名前や強さだけを見るのではなく、
身体がどのような反応を示しているのかを細かく観察することなのです。
浅いところと深いところでは状態が違う?
第四十八難には、さらに興味深い診察の考え方が登場します。
「外痛み、内快きは、外実内虚」
「内痛み、外快きは、内実外虚」
少し難しい表現ですが、簡単に考えてみましょう。
たとえば、身体の表面を軽く触ると痛い。
ところが、少し深く押すと、かえって気持ちよく感じる。
このような場合は、
表面には実があり、内側には虚がある
と考えます。
反対に、表面を軽く触る程度では特に痛くない。
しかし、深く押すと強い痛みを感じる。
この場合は、
表面には虚があり、内側には実がある
と考えます。
つまり、同じ場所であっても、
浅い部分と深い部分では、虚実の状態が異なる可能性がある
ということです。
「痛い場所」だけを見ない
ここに、第四十八難の大切な教えがあります。
患者さんが「ここが痛い」と訴えたとき、
痛みの場所だけを確認して終わるのではありません。
その場所は硬いのか、やわらかいのか。
軽く触れたときと、深く押したときでは反応が違うのか。
症状は急に起こったのか、長く続いているのか。
脈にはどのような特徴があるのか。
こうした情報を重ねながら、
その人の身体で何が起きているのかを考えていきます。
現代の臨床にもつながる「反応を見る」という考え方
現代医学と東洋医学では、身体の捉え方や診断の体系が異なります。
そのため、第四十八難に書かれた「虚」「実」を、
そのまま現代医学の病名や検査結果に置き換えることはできません。
しかし、
一つの症状だけで判断しない。
患者さんの反応を多方面から観察する。
という考え方は、現在の臨床にも通じる部分があります。
痛みの強さだけではなく、痛み方、発症の経過、触れたときの反応、
全身状態などを確認することは、患者さんの状態をより詳しく理解するために重要です。
難経第四十八難のポイント
第四十八難では、虚実を一つの情報だけで判断しません。
脈を見る。
症状の勢いを見る。
身体に触れて反応を見る。
さらに浅い部分と深い部分の違いまで観察する。
こうした複数の情報を重ねながら、その人の現在の状態を判断していきます。
約二千年前の医学書に、これほど細かな身体観察の考え方が記されていることは、
とても興味深いことです。
まとめ
難経第四十八難が教えているのは、単に「痛みを見る」ということではありません。
その痛みが、どのように現れているのか。
触れたとき、身体がどのように反応するのか。
そこまで丁寧に観察し、虚と実を見極めようとします。
同じ「痛い」という言葉でも、身体の反応は一人ひとり異なります。
一つの症状だけを見るのではなく、脈、経過、触診など、
さまざまな情報からその人全体を捉えていく。
難経第四十八難は、そんな「症状を見るのではなく、その人の反応を見る」という
東洋医学の診察の奥深さを教えてくれる章なのです。











