難経 第八難 ― 生命の火はどこにあるのか?
難経 第八難 ― 生命の火はどこにあるのか?
「脈が正常でも、なぜ人は死に至るのか?」――難経が投げかけた“生命の根”の話を、わかりやすくまとめます。
「手首の脈が正常なのに、人はなぜ亡くなるのか?」
少し不思議に聞こえるかもしれませんが、これは東洋医学の古典『難経』が、約二千年前に真正面から問いかけたテーマです。
この問いを扱ったのが「難経 第八難」です。
不思議な問い
「寸口の脈が平(正常)であるのに、死んでしまう者がいる。これはなぜか?」
寸口とは、手首で診る脈のこと。
つまり「脈に異常がないのに、人が亡くなるのはなぜか?」という問いです。
現代的に言えば、「バイタルサインは安定しているのに、突然状態が悪化するのはなぜか?」という疑問に近いかもしれません。
生命の根源 ― 腎間の動気
難経はこう説きます。
「十二経脈は、すべて生気の原につながる。その生気の原とは、腎間の動気である。」
腎間の動気とは、単なる腎臓の働きではありません。
これは人が生きるための根本的なエネルギー――いわば「生命の火種」を指します。
難経では、この動気を次のように表現します。
- 五臓六腑の本
- 十二経脈の根
- 呼吸の門
- 三焦の原
つまり、全身の働きが動き出す出発点がここにある、と考えられているのです。
木にたとえられる生命
難経は生命を木にたとえて説明します。
「気は人の根本である。根が絶えれば、茎や葉は枯れる。」
人間の身体を一本の木とするなら、
- 枝葉=十二経脈や各臓腑の働き
- 根=腎間の動気
枝葉がまだ元気に見えても、根が腐れば、やがて木は倒れます。
同じように、表面の脈が整っていても、生命の根源である生気が尽きれば、人は生きられない。
これが古典の言葉でいう、 「寸口脈平にして死する者は、生気独り内に絶す」 の意味です。
先天の気と後天の気
東洋医学では、気を二つに分けて考えます。
- 後天の気:食事や呼吸から得られるエネルギー
- 先天の気:親から受け継ぐ、生まれ持った生命力
そして腎間の動気は、先天の気と深く関係する場所とされます。
後天の気が十分でも、先天の気が尽きれば生命は支えられない。
この考え方は、後に「命門」という概念へ発展していきます。
臨床での意味
この教えは、現代の鍼灸臨床でも重要です。
脈が整っているのに、どこか力がない。表面は穏やかでも、奥に生命力を感じない。
こうした脈は、予後を慎重にみる必要があります。
だからこそ治療は、
- 原穴治療
- 根本治療
- 積聚を整える治療
など、原気を補い、生命の根を支える方向へ向かいます。
症状だけでなく、その人の「根」を診る。
それが東洋医学の特徴です。
生きているとは何か
難経第八難は、私たちに本質的な問いを投げかけます。
「生きている人と、亡くなった人の違いは何か?」
難経の答えは明快です。
「気が宿っているかどうか」
気が身体を離れれば、生命は終わる。
だから東洋医学は、気を診る医学なのです。
まとめ
難経第八難が伝えているのは、
「目に見える脈だけでなく、目に見えない生命の火を診よ」という教えです。
- 枝葉が青くても、根が枯れれば木は倒れる
- 生命の根にあたるのが「腎間の動気」
- 症状だけでなく“根(原気)”を支える治療が大切
だからこそ私たちは、腎間の動気――生命の根を守る治療を行う。
これこそが、鍼灸医学の原点です。












